子どもが「やりたい」と言い出して始めたサッカー。そのやりたい気持ちが、知らないうちに親の「やらせたい」に置き換わります。
子どものやりたい気持ちが、親のやらせたいに変わってしまう不思議。一体なぜこの変化が起こってしまうのでしょうか?子どもを追い込むこの変化は、後を断つことがありません。
私たちは、この現象が起こる原因を知る必要があります。そしてこの現象に、真剣に向き合い考えることで、子どもの未来が救われます。
周りとの比較から始まる「もっと」が原因

子どもに、もっとやらせたくなる原因は、周りとの比較から始まります。
周りの子どもと、我が子の比較。
親は、目の前の対象(他の子ども)や、私たちの周囲に溢れる煩雑で刺激的な情報を、子どもへ伝えます。
また子どもの言葉の理解度が高まる時期を利用し、「やりたい」と「やらせたい」気持ちの置き換え作業を始めます。
そして、この現象は決して親だけではありません。指導者も同じように、この時期から子どもをコントロール(支配)する傾向にあります。
自分の「やりたい」が、自分力を育てる
子どもがサッカーをやりたいと言いはじめた時、そのやりたい気持ちというものは、ボヤッとしたものです。
多くの子どもはやりたい理由を、うまく説明することができません。足でボールを転がしたり、蹴ったりすることが、ただ楽しいだけです。
そのボヤけた「やりたい」気持ちを、自分の中でカタチにしていくのは子どもの作業。
友だちと一緒にサッカーを楽しみたい。もっと上手になりたい。ボヤけた思いの中から、子どもは「自分」見つけていくのです。自分で学び、自分の立ち位置を知り、少しずつ考え方を変化させ、子どもは「自分力」を育てていきます。
これが子どもの育成です。
「無関心」を育てる、親の「やらせたい」
こうあるべき、もっとやらせてみよう、あの子より上手くなるためには…
これは親が抱く思いの例です。そしてこの親の思いは、日に日にエスカレートします。
で、これは覚えておいて下さい。「一度高まったこれらの思いを、元に戻すことはとても難しい」ということ。
多くの親が後悔する、後に引けないこの思い。
この思いには、子どものやりたい気持ちを、完全に奪いとる強烈な力があります。
やがてそれは、子どもの自分に対する「無関心」の芽を育てます。
私たちの役割は「支える」ことです
子どものやりたい気持ちと、親が子どもを「支える」穏やかな気持ちが釣り合うことで、子どもは育ちます。
甘やかしは、子どもにとってマイナス。でも子どものやりたい気持ちを支えるためには、少々過保護でもいいような気がします。
我慢しながらも前を向き、子どもを守るあなたの姿を、子どもは必ず覚えています。その姿があってこそ、子どもは強く立派に育っていくでしょう。