2年前の話し。
コーチがベンチに入れないサッカー大会「サイレントリーグ」での一コマ。
少し気になった、あるチームの様子を観察してみた。
そのチームで、ある子どもが出場したのは残り時間たったの3分だけ。
そもそも、このサイレントリーグは「みんな同じ時間プレーする」というのが、子どもたちとの約束。
試合後、ホワイトボードを囲んでの井戸端会議へ潜入し、子どもたちへ質問してみることに。
たった10行の会話だったけど、新たな視点をもたらしてくれた。
iMA:みんな同じ時間プレーしてる?
子:ねぇ、なんで同じ時間じゃなきゃダメなの?
iMA:だって、せっかく大会に来てるんだから、みんな同じ時間プレーできた方がよくない?
子:でも、Aは最後だけでいいって言ってるから、それより出たい子が出ればいいんじゃないの?
iMA:Aくんは、それでいいの?
A君:うん、いいよ。
iMA:いつも短い時間だけプレーしてるの?
A君:ちがうよ。レギュラーだから、ほとんど全部出てるよ。
iMA:そうなんだね。でも、なんで短い時間だけでいいの?
A君:あんまり長い時間出たくない。試合見ながら、いろんなこと考えるのが好きだから、僕は3分ぐらいでいい。
近年、教育現場やスポーツの指導法についての話題に事欠かない。
「同じ」「平等」「公平」という言葉も、よく目にするようになった。そして、これらの言葉に指導者は追い詰められ、その言葉の意味さえ分からなくなり始めたのかもしれない。
じっさいに僕もその一人だ。
「同じ」「平等」「公平」。
トレンドを取り入れたこのルールが不具合を起こしていることに、この時気づかされた。